長慶寺は、現寺地の北方にあった古代寺院・海会寺(かいえじ)の一院として開創されたと言われています。長慶寺の寺伝によれば、海会寺は神亀元年(724年)、聖武天皇の勅願寺として行基によって創建され、永延2年(988年)に焼失し、長徳3年(997年)再興されたと伝えられています。ただし、海会寺跡発掘調査の所見からは、この寺の創建は聖武天皇の時代よりさかのぼる7世紀後半の創建と推定されています。「海会寺」の名は近世以降に見られるもので、当初の寺号は不明です。天正年間の織田信長・羽柴秀吉による紀州攻めで全山焼失。奥之院の観音堂だけが類焼を免れた。その後慶長年間(17世紀初頭)、現在地へ観音堂を移築し諸堂を新築するなどの再興が豊臣秀頼によって行われました。